光庭
外/内/外
光庭とは、建物や壁で囲われた庭であり、内部に移植された外部である。
中央に光庭を持つ住宅は外周を閉じたものが多いが、パティオ・ヴィラ(レム・コールハース1989年)の内部空間は、水平屋根によって規定された開放的なものである。外部からガラス越しに光庭を見た写真があるが、暗いはずの屋内の一室が外部と同じ光で照る様を写していて、軽い驚きと認識の揺らぎを誘う。バシュラールが住居について、外部環境のなかで集中した存在としてイメージされるものと定義したが、光庭という外部がそこに入れ子状に埋め込まれるとき、原初的な内/外の関係性が揺さぶりをかけられる。光庭は、古来のコートハウスの系譜を継ぐ、求心的・内向的な私的外部空間の内包、という解釈にとどまらない。つねに、内部/外部の関係についての考察をせまる装置となるのである。
最大の連続性
住吉の長屋(安藤忠雄 1977年)では、細長い敷地の両端に諸室が2層に配され、室の往き来は、中央の光庭にかかる渡り廊下と階段を用いて行う。空間経験として内/外の境界が相対化され、両者が結び付けられる。外周の長方形の輪郭は光庭と屋内を貫き、内外の境界であるガラス面よりはるかに強い表現を持つ。この光庭において、行為による縫い合わせと、幾何学形態の貫入によって、内/外が最大の連続性を獲得している。
向こう側の世界
ウィークエンドハウス(西沢立衛1998年)の3つの光庭は、正方形の平面のなかで図としての優位性を持ち、その残余が内部空間となっている。内部の天井は鈍く反射するシートが貼られ、光庭は天井と同じ高さで木ルーバーがかけられている。天井が内部の柱を映しこみ、希薄な面になる一方、空からの光を受けるルーバーは、光庭上部に光る輪郭としての面を形成する。実際に現象する光庭は、平面上において見られる以上の図的な優位性を獲得している。われわれが通常行う内部=図/外部=地という認識の方法は裏切られ、知覚は別の把握の方法を模索し始める。
庭を囲むガラスのサッシは細く、内外をさえぎる障害物は最小である。外周壁内側は、内部において濃色の塗装であるのに対し、光庭においては淡色のパンチングメタルが採用され、輪郭を共有しながら全く別の表情を持っている。ガラスの両側の仕上げが変えられ、かつガラス回りが極めて繊細に処理されることで、多様な写りこみを伴うガラス面が、世界を切り分ける境界面として顕在化してくる。内/外という認識の方法自体が相対化されることで、光庭は幾分映像的な、こことは異なる向こう側の世界として現象している。
内部/外部の相対化
サヴォワ邸の壁で囲まれた2階テラスは、1階から屋上へと至る建築的プロムナードによって内部と縫い合わされ、連続体を作っていた。また、バルセロナパビリオンの深い庇の奥の半透明ガラスは、周到に隠された背後の明り取りからの光を妖しく映し、光と影の伸びやかな世界のなかで、ここだけは立ち入れない理解を拒絶する核となっている。これらを光庭と言ってよければ、先に挙げた例にそれぞれ対応するものである。前者においては経験による内/外の最大の連続、後者においては内/外という識別方法を保留することが志向されている。光庭は、空間に多義性を誘い、共有認識としてある内部/外部関係につねに相対化を促す装置となるのである。